ドッペルゲンガーの足跡
ドッペルゲンガーについての 調査報告 | |
---|---|
1 | コインを手にした者と同じ姿でヤツは現れる。 |
2 | ヤツは自分の理想、欲望、闇が具現化した者。 |
3 | ヤツはあなたの居場所を奪いに来る。 |
4 | ヤツに居場所を奪われるとあなたは消える。 |
5 | ヤツと逃げずに向き合わなければならない。 |
1章 救済者-1
目の前に広がるのは赤。
仰向けの男性の腹から、鮮血が広がっていく。
男はピクリともせず見開いた瞳で虚空を見つめている。
血の滴るナイフを持った男が、かたわらに佇んでいた。
フードを被っていて顔は見えない。
数メートル離れた位置にいるおれに気づく様子はない。
男は、腹の傷口を指でえぐり、しゃがんで血のついた指を公園の土の上に滑らせた。
何をしているのかわからないまま、その場を動けず見続ける。
『C1B3A1』
血文字を書くと、男は立ち上がった。
異様な光景に、膝が震える。心臓がうるさいほどに脈打ち、手足が冷えていく。
一歩後ずさったとき、銀杏の枯れ葉がカサリと鳴った。
男が反射的に振り替える。
逃げなければ。早く。早く。
そう思うのに、金縛りにでもあったかのように体が動かない。
――殺される。
本能的に死を悟る。
しかし、男はフードで顔を隠して、おれと反対の方向へ走り去って行った。
全身の力が抜けてその場に崩れ落ちそうになる。
そして、ふと強烈な違和感に気付いた。
一重の涼しい目、通った鼻筋、細い顎。
犯人らしき男の顔は、目の前で倒れている男と同じ顔だった。
(双子……?)
おそるおそる近づき、倒れている男を見下ろす。
「だ、大丈夫ですか」
緊張でかすれた声が出る。
しゃがんで様子を伺っていると、男のそばに光るものが見えた。
拾い上げてみると、血のついたコインだった。
……見慣れないデザインだった。外国の硬貨だろうか。
いや、そんなことより救急車だ。
震える手で携帯を取りだしたとき、つんざくような女の悲鳴が聞こえた。
「キャーー! 誰か!!!」
犬の散歩に来たらしい中年の女性が、恐怖におののいた顔をしている。
犬がけたたましく吠える。
しまった。
瞬間的に脳が冷えた。この状況、おれが犯人だと思われてしまう。
「誰か来て! 人殺し!!!」
「違う、おれじゃない……」
女性の声を聞きつけ、公園のグラウンドからどんどん人が集まってくる。
(……くそっ)
とっさに反対方向に走り、茂った木をかき分けてネットフェンスに足をかけた。
鼓動がドクドクと耳の横で音を立てる。冷や汗が止まらない。
フェンスを越えて大きな道路に出る。
ふり返ると、まだ誰も追いかけてきていない。
そのとき、耳に大きなエンジン音が届いた。
ギュルギュルと豪快な音を立てて迫る黒塗りの車。
明らかに俺の方をめがけて走ってくる。
やばい。
そう思った時には、ヘッドライトが目の前に迫っていた。
*
両親の顔。
友達の顔。
高校の廊下。
好きなアイドル。
中学の教室。
小学校のグラウンド。
子どもの頃に好きだったゲーム。
よく行った駄菓子屋。
公園。
黒塗りの車。
血のついたコイン。
次々とイメージが浮かんでは消えていく。
……ああ。これが走馬灯か。
俺の人生、くだらなかったな。
退屈な毎日に耐えた結果がこれか。
何者にもなれないまま、15歳で終わるのかよ。
ん……?
誰だ。
誰かが、何か言ってる。
姿がよく見えない。
お前は誰だ。
俺に何を伝えようとしている?
口の動きが読み取れない。
何か、大切なことを思い出せそうなのに思い出せない。
一体、お前は誰なんだ……。
*
「滝野さん! 滝野さん」
目を覚ますと、見知らぬ天井と白いカーテンが見えた。
小太りの看護師が眉をしかめている。
「起きましたね。意識ははっきりしてます?」
「いや、まだぼーっとして……」
何の夢を見ていたか、よく思い出せない。
「俺、どうして……」
「滝野さんね、車にはねられたのよ。
救急でウチに運ばれてきたけど、ぴんぴんしてるわねえ。
気を失っただけで脳に異常はないって先生もおっしゃってるから。
気分が悪かったり、眩暈がしたりしないなら、落ち着いたら帰っていいからね」
看護師はテキパキと俺の荷物を整理しながら早口で言った。
「あ、そうそう。
刑事さんがあなたが起きるのをずっと待ってたわよ」
「刑事?」
「なんだか知らないけど、事件の参考人なんだって?
車の事故のことかしら? ひき逃げってやつ?
ああやだやだ、怖いわねえ」
ゴシップを話すかのような下世話な声色だ。
やがて、看護師はナースコールで呼ばれてあわただしく病室を出て行った。
*
やっぱり、あの事件は夢じゃなかったのか。
犯人扱いされるのだろうかと考えて、気が重くなる。
いつもの癖で、不安になるとTwitterを開く。
最近作ったアカウント。友人やネット上の見知らぬ人がぽつぽつとフォローしてくれていて、愚痴を吐き出すと気が紛れる。
『マジで人生最悪の一日かも』
送信ボタンを押すと、1分もしないうちに返信がついた。
『どした?』
『やばい事件に巻き込まれたかもしれん、冤罪で捕まるかも』と一気に打って送信した。
手が汗で滑る。
『公園で死体が』
と続けて入力して、指が止まる。
あの車……。
明らかに俺の方へ突進してきたよな。
もしかして……。
あの犯人が運転していた車だとしたら?
犯人の顔を目撃した俺を消そうとしていたのかもしれない。
ゆっくりとバックスペースキーを押して文字を消す。
このツイートも誰が見ているかわからない。
顔の見えないネット上のフォロワーたちの中に、犯人がいたら?
何か、巨大な恐ろしいものに見られているような気がして、背中に寒気を感じた。
2022年11月12日。
おれは一生、この日を忘れることはないだろう。
殺人の目撃は、忘れられない一連の奇妙な出来事の幕開けとなるのだった。